開運!なんでも鑑定団|「放浪の鬼才」と呼ばれた画家とは?2/25
【開運!なんでも鑑定団|「放浪の鬼才」と呼ばれた画家とは?2/25】
「開運!なんでも鑑定団」
今回の放送では、
・11年前「1800万円鑑定」された絵と同じ、破天荒な<放浪の鬼才>の絵は本物か?驚きの事実に騒然
・世界を制した伝説職人の<名作(秘)二輪>&臭すぎるお宝に衝撃値
という内容で放送されるようですね!
そこで今回は、
【開運!なんでも鑑定団|「放浪の鬼才」と呼ばれた画家とは?2/25】
について詳しくみていきたいと思います。
開運!なんでも鑑定団|「放浪の鬼才」と呼ばれた画家って?2/25
有名な日本人画家は多く存在しますが、「放浪の鬼才」と呼ばれた画家のことをご存知でしょうか?
昭和初期、破天荒な人生を歩み 「放浪の鬼才」 「日本のゴッホ」と呼ばれていたのが長谷川利行という京都府出身の洋画家です。
油絵やガラス絵を手掛けることが多く、独創的な画風で知られています。
2009年に放送された「開運!なんでも鑑定団」では、「カフェ・パウリスタ」という作品が紹介され鑑定額が1800万円となり話題になりました。
開運!なんでも鑑定団|「放浪の鬼才」と呼ばれた画家ってどんな人?2/25
「放浪の鬼才」と呼ばれていた長谷川利行は、いったいどんな人物だったのか気になりますね。
1891年に京都で生まれた長谷川利行は、アトリエを持たず「思い立ったら絵を描く」というスタンスで、その作品は徐々に評価を高めていったようです。
そんな長谷川利行の生活は…
・浅草近辺の貧民街で一日中絵を描いている
・絵を換金して酒を飲んでいる
・友人たちに絵を書いて送りつける
・著名人のところに押しかけて絵を描き、金をせびったりする
など、なかなか破天荒だったようですね。
安酒の飲み過ぎで身体を壊したり、泥酔してタクシーにはねられ重傷を負うなど、生活は荒れ果てていったのだそうです。
1940年に路上で倒れて養育院へ収容されるも、胃癌の治療を拒否し、同年10月12日に49歳で死去しました。
手元にあったスケッチブックなどの所持品は、養育院の規則によりすべて焼却されてしまったのだそうです。
しかし死後発見された作品もあり、2018年に開催された長谷川利行展では約140点の絵が展示されました。
開運!なんでも鑑定団|「放浪の鬼才」と呼ばれた画家とは?まとめ2/25
今回は、
【開運!なんでも鑑定団|「放浪の鬼才」と呼ばれた画家とは?2/25】
について詳しくみてきましたが、「放浪の鬼才」と呼ばれた長谷川利行の人生はとても興味深いものでした。
独創的で魅力的な作品の数々は、破天荒な生きざまが背景にあったのでしょうね。
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